日光二荒山神社

二荒山神社は日本でもっとも古い神社のひとつで、その歴史は8世紀にまでさかのぼります。本社、中宮祠、奥宮の三社から構成されています。

男体山および日光の周りの山々は、その昔より神道の聖地として知られていました。8世紀の終わり頃、男体山の山頂に、勝道上人(735年-817年)によって祠が建てられました。これが現在の奥宮です。その後、中宮祠が男体山の麓に、二荒山神社の本社が人々の多く暮らす地域に建ちました。

この神社は長きにわたり、下野の国(栃木県)で最も格式の高い神社として、地域の人々や侍、権力者たちの信仰を集めてきました。

本殿には大己貴命、田心姫命、味耜高彦根命といった三柱の神々が祀られており、それぞれが日光の三山(男体山、女峰山、太郎山)の化身と考えられています。

拝殿
拝殿は神々への祈りが捧げられる場所であり、また祭り事にも使用されます。赤と黒の控えめな装飾が特徴的で、簡素ながら力強い建築。ここにある武士像は祀られている神々を保護し、絵には神の使者である鹿が描かれています。この建物は1619年に第2徳川将軍・秀忠(1579年-1632年)によって寄進されました。

本殿
本殿は、拝殿と廊下で一続きとなっています。ここには大己貴命、田心姫命、味耜高彦根命といった三柱の神々が祀られています。本殿は1603年から1867年まで日本を治めた徳川幕府の第二代将軍・秀忠によって寄進されました。